「韓国のピカソ」と呼ばれる
異名を持つ芸術家、文信
1923年出生まれ
16歳の年齢で
日本密航を敢行
美術の勉強をするために始めた
産婦人科の助手、染色工場の従業員、
靴磨き、大工、映画のエキストラ、郵便配達員...
日本美術学校で学び、
芸術家の道を歩み始めた
1961年フランスに渡り
抽象彫刻の巨匠として活動
1980年、20年ぶりにに帰国
自ら丘を削り池と滝を作り
大きな岩を一つ一つ積み上げ擁壁を立て作った
彼の巨大な作品
15年の年月を掛けて誕生した
文信の最後の遺作
昌原市騶山洞の丘の上にある
国内初の個人美術館
「文信美術館」
1995年、開館直後
文信は72歳の歳で永眠した。
「私は奴隷のように作業して、
庶民のように生活し、神のように創作する。」
-文信、作業ノートから